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先日、長崎の鷹島に行って来ました。

知人から、「魚が美味しいところ」と聞いていたので行ったのですが、確かに海の幸は豊富で良いところだと思います。

しかしこの島には、別に興味ある事柄がありそうです。

この島に「モンゴル村」と言う施設があります。

温泉施設・宿泊施設・食堂・売店などを備えた総合レジャー施設のようです。

ここには、「ソフトバンク」に関する資料もあります。

たぶんこの島が「鷹島」という名ですので、この「鷹」にちなんで作られているのでしょう。

それはさておき、前出の「モンゴル村」についてですが、「なぜここにモンゴル村があるのでしょうか。

私達も不思議に思ったのですが、島の「資料館」でその謎が解決しました。

それは、700年以上歴史をさかのぼります。

1274年10月、蒙古軍(元・高麗の軍)3万人の兵を乗せた900隻の舟が日本に攻めてきました。これが第1回目の蒙古襲来「文永の役」です。

元・高麗軍は、対馬、壱岐をおそい博多湾に攻め入ります。

対馬・壱岐の人々のほとんどは殺され、生き残った人(主に女性)は手に穴をあけられ,そこをひもで通して船のへりに結ばれたそうです。こうすれば日本軍が矢を撃てないからです。

このような蒙古の残虐な行為は、世界の至る所で行われ大変に恐れられ、東ヨーロッパには今でもその時の恐ろしさが伝えられているそうです。

この戦争、日本側は一方的に不利だったようで、それは戦法・武器に大きな差があったためのようです。

ところが次の日の朝、蒙古軍は姿を消します。

蒙古としては、この時はどうも脅しだったようです。

一端撤収し、後日再度攻め入ることになります。

蒙古による日本の家来支配拒否に業を煮やしたクビライは、1281年6月、蒙古軍(元軍・江南軍)14万人・軍船4500隻で再度日本に攻めてきます。これが第2回目の蒙古襲来「弘安の役」です。

今回は蒙古も本気です、しかし日本も戦略を変えて戦います。ところが奇跡がおこります。

「神風」(台風)です。

これによりほとんどの兵士や舟が海に沈んだようです。

この遺跡が、「鷹島」の周囲の海底で沢山見つかっています。

話が長くなってしまいましたが、こんな関係で「モンゴル村」がこの鷹島にあるようです。

この島、もっと勉強する加地がありそうです。

皆さんも時間があったら是非行ってみて下さい。