32c67de6.jpg今回は、杉村さんの「中小企業が光をNo7」です。

このシリーズも今回を含め残り2回、じっくり考えて見ましょう。



私は、ある地方の公的審議会の民間委員を経験した。

そこでは多くの官僚・学者・経験者・労組幹部にお会いした。

その多くは強者を誉め励まし弱者に自己責任を問う考え方をする人が多いように思う。

彼らは言う。

働き方の多様性が求められている 
今は機会均等の自由がある 
勝ち組、負け組は必ず生ずる
人間社会では平等はありえない 
今のような一億総中流社会は未来永劫続かない 
格差社会はおかしいと錯覚する人が多い 
昔から紛争(戦争)は、つきもので、なくなることはない
額に汗することなく手前勝手な理屈で、社会のせいにする人達が増えている 
机上の空理空論を振り回すマル経学者 
欲や奢侈を好むのは人の性情、それが人を幸せにする
広く薄く公平に負担すべきだ
儲ける人はどんどん儲けるべきだ 
中小企業全体にバラまく総花的施策は止めよう、頑張る個別の企業に限るべきだ 
大企業も元を正せば中小企業だ 
施策には効果効率実利を求め報告させよ

このようにして新自由主義イデオロギーを反映した答申あるいはまとめがなされ、国や県の具体的施策が決まっていった。

これらの政策・施策や方向方途は、多くの人々にその誤りが判ることになった。

経済の破壊、政治の酩酊、社会的な絆の分断、生活の劣化、教育の混迷、格差の拡大、生活の劣化、雇用・暮らし・病気や老後の不安などをもたらしたからである。

「社会保障や労働市場の改革が不十分だ。改革で悪くなったというのは支離滅裂だ。
格差というが貧困層がどれだけいるのか原因が正確に分かっていない。改革は後4,5年続けなければならない」と嘯くお方もいる。

このように考えている人々は、政府、官僚、経営者の過半である上、周囲にも少なからず影響される人々は少なくないように思う。

それは、現実に対する明確な対立軸が、必ずしも広範囲に示されず、その上、理念的対立が回避されたままであるからだ。

自由放任と規制の関係は、規制緩和→自由競争→悪徳業者の跋扈・格差拡大→新規制→規制緩和と、イタチごっことなる。



新自由主義思想は、日本の中においても急速に広がりました。

この考えの行き着くところは、全てが「自己責任」という個人主義思想です。

遥か昔人間は、大自然の中では無力でした。

彼らは「集団行動」という武器を身につけ、世界を生きてきたのです。

今人間は、大草原に住む「ライオン」のごとき生き方を選ぼうとしているのでしょうか。

しかし「ライオン」は、「共食い(競争)」をしません。

集団行動を身に付けたがゆえ、「競争(共食い)」をする人間に、果たした「ライオン」と同じ生き方が出来るのでしょうか。

人間にとって進化は、まだそこまで進んでいないと思うのですが?

頑張れ 人間!!!