クピドとプシュケフランス18
今まさに接吻を交わそうとしている少女は、その美しさに女神ヴィーナスも嫉妬したという王女プシュケ。背中に翼のある少年は、ヴィーナスの息子クピド、いわゆるキューピットである。・・・・・

4月21日の日経新聞に載った「接吻十選」のくだりである。

フランス旅行「ルーブル美術館編」で私が気に入った彫刻として載せたカノーヴァ作「クピドとプシュケ」だ。

今日はこの作品を少し紹介する。


アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)が生きたころは、年代的にフランス革命真っ只中だが、彼はヴェネツィア近くの小さい町に生まれ、主に教皇庁から仕事を得ていた新古典派の巨匠である。

彼は、フランス軍の侵攻からナポレオンの没落に至るまでの過程を、大彫刻家・外交官として力を発揮し、イタリアに対し尽力した。

さて、上の「クピドとプシュケ」の像。ギリシア神話では数少ない?、ハッピーエンドな物語の場面を表現した作品だ。

あまりにも美しすぎる人間のプシュケに嫉妬したヴィーナス(アフロディテのこと)が、金の矢(愛の矢)とを放てるクピド(キューピッドのこと、またはアモル)に「プシュケが最も醜い男と結ばれるように、彼女に金の矢を射ろ」と命令するが、プシュケの寝床を訪れたクピドが彼女の美しさに見とれ、自分に金の矢を刺して彼女を愛してしまうことから始まる、壮大な恋愛物語だ。

上の作品はカノーヴァ自身、油が乗り切っている時期の完璧な美を追求した渾身の作品だろう。

新古典主義に見られる肉体が理想化されて彫られている。

しかし作品は、ただ理想化されているだけでなく、古代の物語を題材にした甘美でロマンチックなところも見逃せない。

どうしたら彫像のようなポーズで物語を表現しようという直感が得られるのか、私などには分からないが、クピドとプシュケのロマンと哀愁が、若い肉体の美しさでもって凝縮されているように感じる。


以上この作品に対する感想がこんなふうに書かれていたので紹介する。

ところで、このギリシャ神話に基く作品は多数存在する。

絵画の部から一点紹介しよう。

プシュケとアモルプシュケ

若い王女プシュケが、彼女には姿が見えないクピド、すなわちアモルから初めての接吻を受けて、驚き、動揺しているところである。

ここに描かれている古代神話は、愛の物語であるだけでなく、形而上学的な寓意でもある。

すなわちプシュケは、人間の魂を典型的に表わしている存在なのである。

1798年にジェラールによって描かれたこの作品は、官能性の表現やある種の形態の抽象化へと向かいつつあった、新古典主義のその後の展開を物語っている。

ヴィーナスの嫉妬を買ってしまうほどの美貌の持ち主であるプシュケに、女神の息子クピド、すなわちアモルが恋をした。

ジェラールは、神である恋人の姿を見ることが出来ない少女の額に、初めての接吻を捧げるアモルを描いている。

驚き動揺したプシュケは、恥じらいながら露になった胸の上で両腕を組んでいる。こうして彼女の中で初めての恋心が生まれたのである。

2人の恋人たちには、この後オランピアでの婚礼に至るまで、様々な波乱が待ち受けていた。

この神話は、ラテン著述家アプレイウスによる物語『黄金の驢馬』、さらにジャン・ド・ラ・フォンテーヌによる『プシュケとクピドの愛の物語』の中で語られている。

この物語は、古代から新古典主義時代に至るまで実に多くの作家を魅了し、その主題は特に新古典主義において大変な人気を博した(カノーヴァによる《アモルとプシュケ》、プリュードンによる《プシュケの誘拐》(ルーヴル美術館)など)。プシュケがギリシア語で「魂」を意味することからも、これは愛の物語であるだけでなく、形而上学的な寓意でもある。

こうしてジェラールが描いた場面は、人間の魂と神の愛の結びつきという、ネオ・プラトニズムのテーマを象徴しているのである。

さらに画家は、ギリシア語で同じく「プシュケ」と読んで魂を象徴する蝶を、少女の頭上に描き込んでいる。


この作品については、以上のような感想が書かれている。

先にも述べたが、この神話に基いた作品は沢山あるが、ルーブル美術館にも多くの作品があるようだ。

今思えば残念なことだが、事前にこんな知識があればもっと意義ある見学が出来たと思う。

今後皆さんが行く機会があれば、事前にこんな関連的作品をテーマに見て回るのも面白いのではなかろうか。

追記
ヴィナスの息子「クピド」、別名「アモル」・「エロース」日本では「キューピット」の名でがおなじみだが、国により呼び名が違うようだ。

どちらにしてもギリシャ神話から生まれた人物、まさに愛の象徴と言えるようだ。